『存在の耐えられない透明さ』
- mori-haku
- 2015年9月11日
- 読了時間: 2分
なんだかショックを受けてしまいました。
いわゆる元少年Aがホームページを開設したそうで、話題になっています。
僕も拝見しました。本当に彼が作成したのかはわかりませんが、ホンモノと仮定しての感想。
まずタイトルがショックでした。
明らかにミラン・クンデラの小説『存在の耐えられない軽さ』をもじってつけられたのでしょうが、
僕はこの小説が大好きというか、その形式を崇拝レベルで好きだったので、衝撃。レヴューのところにはこの小説への言及はなかったけど、どう思ってんだろ。
『絶歌』が出版されたとき、僕はこの人は世間からいかなる同情も受けるべきではないし、太田出版のやったことは被害者に対する侮辱に等しいと思いました。
でも、少年Aが本を書きたいと思った気持ち、全く分からないとは言えません。
彼は、あれだけの事件を起こして、生まれたときからの名前を失い、人や社会と関わることがまったくできなくなった。しかし、事件を思い出せば分かるように、彼は世界となにがしかの形でつながることを切望していました。
あの時は『絶歌』で、そして今回はネットで、ということでしょう。
僕もこういうホームページを作ったり、脚本を書いたりして、表現によって世界とつながりたい欲求があると思います。ツイッターでそうする人もいるし、掲示板でそうする人もいる。世界とのつながり方は様々ですが、そういう欲求はほとんどの人が持っていますよね。
よく言われるニーチェの箴言があります、あなたが怪物を覗くとき、怪物もあなたを覗いている、みたいな。
物見遊山で見に行ったのに、怪物と自分の違いどころか、似ている部分を目にして、なんだかキンタマがヒヤッとしました。外の怪物を見に行ったのに、自分の中の怪物を見ちゃった、そんな感じ。
きっと、あのサイトを見に行った人は誰でもそう感じるんじゃないのかなぁ…
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